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大阪高等裁判所 昭和36年(う)1010号 判決 1961年12月11日

被告人 佐藤和彦

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役八月に処する。

原審における未決勾留日数中九〇日を右本刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

検察官の所論は要するに本件公訴事実中被告人は昭和三六年二月二四日午前一時三〇分頃大阪市南区長堀橋二丁目二三番地先路上において司法巡査森四雄外一名が被告人を逮捕しようとした際同巡査の右拇指をねじ上げる等の暴行を加え、よつて同巡査に治療四週間を要する右拇指捻挫等の傷害を与えたという公務執行妨害、傷害の訴因につき、原判決は同巡査等の職務執行は逮捕状を持たないで被告人を逮捕しようとした逮捕状の緊急執行の場合に該当するが、逮捕する際逮捕状の発布されていることと罪名を告げたのみで被疑事実の要旨を告げていないから、刑法上保護に値する適法な公務の執行とは認め難く、被告人の行為は正当防衛に該当するとして無罪の言渡しをしているが、右は事実及び証拠に対する判断を誤り更に法令の解釈適用を誤つたもので、破棄を免れないというのである。

よつて検討を加えると証人森四雄、高基辰雄の原審公判廷における各供述、同人等の司法警察員に対する各供述調書を綜合すると昭和三六年二月二三日兵庫県、京都府、大阪府下の暴力団一斉検挙が実施され、被告人に対しても原判示第二の傷害の被疑事実について同月一一日逮捕状が発せられ、一斉検挙の対象者とされていたが、当時被告人は肩書住居地に居住しているかどうか判然としなかつたので、被告人が盛り場の喫茶店等に現われるのを待つて逮捕しようと努めていたのであるが、南警察署では同署暴力係員全員約一〇名をもつて一斉検挙の対象者約三〇名の検挙にあたつていた関係上、これが捜査に当る警察官のうち何人が被告人を発見し逮捕するか予測できない状態にあつた為め、被告人に対する逮捕状は本署において特別暴力係係長が保管し、係員は令状を持たないで捜査をすすめていたところ、たまたま森、高基両巡査が同月二四日午前一時頃同市同区千年町一九番地「青い城」に赴いた際、同店二階において被告人を発見したので、これを逮捕しようとしたものであるから、刑事訴訟法第二〇一条第二項の準用する同法第七三条第三項に規定されている逮捕状の緊急執行にいう急速を要するときに該当するものといわなければならない。弁護人のこの点に関する所論は採用できない。

ところで検察官は逮捕行為を開始するまでは被疑事実の要旨を告げる必要はないと解すべきものであるとし、前記両巡査が「青い城」において被告人を発見したときは、被告人はその知人数名と談話中であり、同所は被告人の関係する南道会の会員や日本青年党の党員等が常に出入しているので、ことを荒立てればこれらの者多数が参集し、逮捕を妨害されることが予想されたので、両巡査は被告人に逮捕状が発布されていることを告げて納得させ、南警察署まで任意同行を求め同署において逮捕状を示して逮捕しようとしたところ、被告人が二階裏階段より逃走したので、ここにおいて始めて両巡査は実力を行使して被告人の自由を拘束しようと決意し、被告人を追跡したのであるから、逮捕行為を開始した時期は被告人を追跡し始めた時であり被告人の逮捕を完了するまでの間被疑事実の要旨を告げる余裕は全くなかつたものであると主張する。

しかしながら、刑事訴訟法第七三条第三項は公訴事実の要旨及び令状が発せられている旨を告げて、その執行をすることができると規定しているのであるから、逮捕状の緊急執行の場合においても、可能である限り逮捕行為の執行前に被疑事実の要旨を告げることが同条の精神であるといわなければならない。前記各証拠によれば被告人が逃走を企てる以前において検察官所論の如く、被告人に対し任意同行を求めたが、被告人が容易にこれに応じようとしなかつたので五分ないし一〇分間位待機して同人を監視していたのであるから、本件の場合被疑事実の要旨を告げる時間的余裕は十分あつたものと認めることができる。しかも当審における高基巡査の証言、森四雄の司法警察員に対する供述調書によれば両巡査は被告人が任意同行に応じなければ逮捕を思い止まるという気持ではなく、万一逃走を企てれば逮捕しようという気構でいたと認められるのであるから、検察官の主張するような理由で本件の場合被疑事実の要旨を告げる必要はないと解する見解には到底賛意を表することはできない。この点に関する所論は採用できない。

検察官は本件逮捕行為の直前において前記両巡査から傷害で逮捕状が出ている旨告げられており、それのみで逮捕状の発せられている被疑事実の内容を察知し得る状況にあつたもので、かつ、被告人は何等被疑事実を問い正していない。本件の場合被疑事実の要旨を具体的に告げなかつたことは刑事訴訟法第二〇一条第二項、第七三条第三項の精神に反するものとは考えられないと主張する。

よつて考察を加えると憲法第三四条には何人も理由を直ちに告げられなければ抑留又は拘禁されないと規定されており、この憲法の規定を具体化した刑事訴訟法第二〇一条第二項、第七三条第三項の規定は、人権と重大な関係を有する規定であるから、逮捕に当つて被疑者に対し、被疑事実の要旨及び令状が発せられている旨を告げないで行う逮捕状の緊急執行は原則として違法であり、刑法によつて保護するに値しないことは原判決の説示のとおりである。しかしながら、憲法、刑事訴訟法が被疑者を逮捕するに当つて右の方式の履践を要求する法意は、被逮捕者が、いかなる被疑事実によつて逮捕されるものであるかを知らしめて安んじて逮捕に応ぜしめようとするにあるから、罪名を告げたのみで、被逮捕者が被疑事実の内容を了知し得る状況にある場合には罪名と令状が発せられていることを告げたのみで逮捕しても必ずしも前記法条に違反するものではないといわなければならない。ひるがえつて本件を検討すると、被告人の司法警察員に対する同年三月一七日付供述調書及び当審における高基巡査の証言によると、被告人は「青い城」の二階において高基巡査から傷害罪で逮捕状が出ているから一寸来て貰いたいといわれた際「判つてまんが一寸待つて下さい云々」と答えた事実を認めることができる。被逮捕者が罪名と令状の発せられていることを告げられて判つていますといい被疑事実の要旨告知を求めない場合にまで被疑事実の要旨を告げなければ逮捕することができないと解するのは行き過ぎである。ただ、判つていますといつても、真実被疑事実の要旨を了知しているのかどうか疑のもたれる場合は原則にたちかえつて被疑事実の要旨を告げなければならないこと勿論である。ところで当時既に被告人に対する原判示第一の暴力行為等処罰に関する法律違反、傷害被告事件が大阪地方裁判所に繋属中で、右の被告事件につき保釈を取り消されていたところから、被告人は高基巡査が保釈取消による勾留状の執行に来たものと感違いをして「判つています」といつたものであると弁解する。右の弁解が真実であるとしても、前記各証拠によれば高基、森両巡査等は被告人が保釈取消中であつたということを全く知らなかつたものであり、被告人は判つているといつた後暫く待つて欲しいといつて任意同行に応じようとはしなかつたが、被疑事実について問い正そうともせず、しかも当時捜査の対象とされていた被告人に対する被疑事件は逮捕状の発布されていた傷害事件のみであつたから、右両巡査が真実被告人において被疑事実を了知していないのではないかと疑うに足る事情は存在しなかつたものと認めることができる。このような事情のもとにおいて、同巡査等の被疑事実の要旨を告げないでした逮捕行為は原判決のいうごとく保護に値しない不適法な職務執行であるとは到底考えることができないのであつて、適法な職務執行として刑法の保護を与えるのが相当である。従つて被告人が同巡査等の右職務執行に当り暴行を加えれば公務執行妨害罪を構成するといわなければならない。原判決が被疑事実の要旨を告げていないということから直ちに被告人の高基巡査等に対する暴行は何等罪にならないと判断したのは事実を誤認し法の解釈適用を誤つたものというべく、この誤は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、論旨は結局理由があり、原判決はこの点において破棄を免れない。

(その余の判決理由は省略する。)

(裁判官 児島謙二 畠山成伸 松浦秀寿)

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